社会基準で考えるコンプライアンス

― 30年前の銀行改革が教えてくれたこと ―

はじめに:あの瞬間に感じた“時代の風向き”

今でこそ当たり前のように語られる「コンプライアンス」。
しかし、その言葉が現場に初めて登場したのは、私が銀行員だった30年ほど前のことでした。

当時の銀行は“護送船団方式”と呼ばれ、行政に守られながら経営するのが常識でした。お上に逆らわなければ良いわけで、具体的には、大蔵省検査や日本銀行の考査をクリアしていれば安泰だったわけです。

そのまた昔は業務負荷も今ほど高くはなく、最初に赴任した店舗の次長さんからは「俺たちが若い頃夏場なんかは『行ってきます!』と言って店を出てから若手で落ち合って、海水浴に行ったもんだ、ハハハ〜!!」と反応に困る昭和時代の武勇伝を聞かされたこともありました。まさに保護された環境下で、穏やかな時間が流れていたのだと思います。
私が銀行に入った平成5年ごろでも、外回りの先輩方から午前中は喫茶店に集合してサボっているということを聞いたりしていました。

こんなのは可愛い方で、どんな金融機関でも顧客のお金に手をつけるような不祥事は当時からありましたし、そういう事件は信用を毀損する重大事との認識もあったのですが、多少の不祥事があっても、業界全体で支え合う、また行政が安全網を張ってくれているから大丈夫と、ある種の“甘え”が組織の中にあったのではないかと思います。


金融は“システム”で動いている

このマニュアル制定の背景には、国際的な潮流がありました。
世界の金融システムを安全に保つためには、各国の銀行が同じ基準・同じマネジメント手法で経営する必要がある。
そうでなければ、どこか一つの綻びが、やがて全体の崩壊につながる。

「金融はシステムである。一部の不正が、全体を止めてしまう。」

これはリーマンショックよりもはるか前の話です。
すでに当時から、「透明性」「説明責任」「リスク管理」といった考え方が世界の常識になりつつありました。

私はまだ若手でしたが、あの瞬間に空気が変わったのを感じました。
“守られる側”から“問われる側”へ。
社会の信頼を前提に成り立つ仕事である以上、外からの視線を意識した経営が求められるようになったのです。

コンプライアンスとは、「社会に信頼されるための仕組み」である。
単なるルール遵守ではなく、“信頼を維持する経営姿勢”そのものだと痛感しました。


時を経て:地方企業にもグローバル基準が迫る

あれから30年。
今の私は、中小企業の経営者や管理職の方々と日々向き合っています。

感じるのは、当時の銀行と同じような構図が、いま地方企業にも忍び寄っているということ。
かつて「うちは地場産業だから」「海外とは関係ない」という言葉がよく聞かれました。
しかし今、海外の顧客、取引先、サプライチェーンの一部に必ず“世界の基準”が関わっています。

例えば――

  • 取引先の海外本社が「人権・労働・環境」の報告書提出を求めてくる
  • ハラスメントやパワハラの基準が国際的視点で問われる
  • ESG経営の観点で、下請け企業にも透明性を求められる

つまり、どんなに地域密着の企業であっても、経営はグローバルスタンダードの延長線上にあるのです。


“うちの常識”は、社会では非常識かもしれない

経営支援の現場でよく耳にする言葉があります。

「昔からこうしてきたから」
「このくらいは問題ないだろう」

しかし、この“自社基準”こそが、トラブルの温床になります。
社会の目線から見れば、思いもよらぬリスクになっていることが少なくないのです。

たとえば、

  • 社員の残業管理が曖昧なまま「自己申告でいい」としている
  • 取引慣行が長年続いているからと契約書を更新していない
  • 現場の「気合い」で品質や安全を担保している

いずれも、「昔のやり方」で乗り切れていた時代の名残です。
しかし、現代ではこうした行為が“社会の信頼”を失う引き金になりかねません。

社会基準で考える。
それが、これからの企業に求められる最低限の姿勢です。


不正のダイヤモンド:偶然ではなく、必然の構造

私は研修でよく「不正のダイヤモンド」という理論を紹介します。
これは、不正が起こる条件を4つの要素で整理したものです。

  1. 動機(Motivation):個人の利得や業績プレッシャー
  2. 機会(Opportunity):チェックの甘さ、管理の形骸化
  3. 正当化(Rationalization):自分への言い訳、「みんなやっている」
  4. 能力(Capability):実行できるスキルや権限

不正は偶然ではなく、これらの条件がそろうと“必然的に起こる”のです。

とくに、「機会」を与える杜撰な経営管理は、もともと「動機」がない従業員の”出来心”を誘ってしまうことにつながります。だからこそ、経営層は「機会」をなくす責任を持たなければなりません。

また、組織を直接的に預かる管理職は、たとえば「データ改竄は昔からやってきたし、バレなければ問題ない」というような内向きの思考をあらためて、「これを見過ごすことを社会は許すのか?」「ダメなものはダメだよね」と自問するようにして「正当化」を許さない風土を育てなければなりません。
これこそが、コンプライアンスを“仕組み”ではなく“文化”として根づかせる第一歩です。


守ることのしんどさと、それでも守る理由

正直に言えば、コンプライアンスを意識し続けるのはしんどいものです。
現場ではこんな声を聞きます。

「そこまで気を張っていたら仕事が進まない」
「細かすぎてやってられない」

でも、私はこう答えます。

「コンプライアンスはブレーキではなく、信頼を積み上げる加速装置です。」

信頼を失った企業ほど、後から取り戻すためのエネルギーを何倍も使います。
日々の小さな“配慮”や“説明”が、結果的に会社の信用残高を増やしていくのです。

コンプライアンスは「リスク回避」ではなく、「ブランド形成」です。
誠実な対応を続けることで、企業は顧客・地域・取引先から“信頼という資産”を得る。
これこそが、持続的な経営の土台になるのだと思います。


結び:社会基準で判断する組織へ

「うちのやり方」や「昔の常識」で経営を続けることは、もうできません。
社会の基準が変われば、企業の“当たり前”も更新しなければならない。

経営者は「機会」を排除し、
管理職は「正当化」を封じ、
社員は「社会基準」で判断する。

その積み重ねが、会社の信頼を守り、未来を強くします。

今日からできる最初の一歩は、
「自分の判断は社会の目線でも通用するか?」と自問することです。

社会基準で考える。
それは、時代に流されることではなく、
時代に取り残されないための、最も確かな自己防衛です。

あなた自身の“社会基準のスイッチ”を、今日から入れてみませんか。